同期が部長になった夜、僕はビールを流し込んだ

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大学野球時代の同期が、一部上場企業の部長になった。
もう50代、そんな年齢だ。誰が出世してもおかしくはない。

10年ぶりに会った彼の昇進を祝いながら、少しだけ強がって笑い、
苦味の増したビールを黙々と流し込んだ。

自分は1974年生まれ。就職氷河期と家庭の事情が重なり就活は失敗いや、惨敗だった。
あの頃は上場企業どころか中小企業も採用を絞っていて、就職先を見つけるのは本当に難しかった。
当時の彼女も教師を目指していたが、「地元の採用枠がたった1人」とよく嘆いていた。

それでも同期たちは、一流企業に次々と就職していった。
一方で、自分は戦いきれず、3月に地元のハローワークで見つけた小さな会社に就職した。
社会保険はあったが手当なし。週休2日制は隔週、ボーナスもない。
覚えることは山ほどあって、残業代も出ないのに終電で帰る日々が続いた。

その会社も5年で辞めた。以後、いろんな仕事を転々とし、どれも中途半端なまま50代に突入した。
こんな状態だから、同期会には滅多に顔を出さなかった。いや、出せなかった。
そんな中でも個人的に会いに来てくれたのが、今や部長となった彼だった。

彼は結婚し、かわいい子どもにも恵まれ、山の手に立派な家まで建てた。
栄転を繰り返し、今はその家を人に貸しているという。
自分には何一つ手に入れられなかったものばかりで、正直、羨ましかった。

「同期会でLINEグループ作ったんだ。お前も入れよ」
あまり連絡を取りたがらない自分に気づいたのか、彼は半ば強引にスマホを見せてきた。

「年取ると、自分が一番輝いてた頃の写真を使いたくなるんだよな。他の連中もそうだぞ」

そこには、懐かしい顔ぶれが並んでいた。
友人のアイコンは30年前、バットを構えた彼の姿だった。
キャッチャーの姿、ユニフォーム姿、合宿での集合写真、ふざけあっていた場面——
みんな、それぞれの「野球少年だった自分」をアイコンにしていた。

思わず泣きそうになった。

たぶん、今の自分が本当に満たされていたら、今の写真を使うはずだ。
かつては、奥さんや子どもの写真、趣味の車なんかをアイコンにしていた人も多かっただろう。
けれど、50代を迎え、子どもが巣立ち、体にもガタが来て、
若く輝いていたあの頃の自分に、もう一度会いたくなるのかもしれない。

胸にこみ上げた感情の正体は最後までわからなかったが、
遠く感じていた同期たちの思い出の中に、自分もちゃんといたことが嬉しかった。
それが過去のことだったとしても。

「それ、いつの写真使ってんのよ」
二人で笑いながら、卒業からの30年に思いを馳せた。
最後のビールは、不思議と美味かった。

別れ際、部長になった友人がふと呟いた。
「うちの大学じゃ、もうこれ以上の昇進はないかもな。でも変えたいんだよ」

自分の情けなさを棚に上げて、周囲の成功を羨んでばかりいたけれど、
誰もがそれぞれの立場で悩みながら、前を向こうとしている。
互いを理解しようとする気持ちだけは忘れずにいたいと思う。

年末の同期会が少し楽しみになった。

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